SUMPLE
 第一子を出産した妻が実家に里帰りをしているため、海馬モクバもまた実家である海馬邸に戻って来ていた。
 居間のソファーで寛ぎながらコーヒーを飲む横では、兄の瀬人がコーヒーカップに見向きもせず、ノートパソコンを用いて作業をしている。
 兄が海馬コーポレーションの総帥となって十余年。精力的に経営に携わってきた彼について、モクバは一つだけ気掛かりがあった。
「兄サマって三十歳を超えたでしょ。っていうか、あと二カ月もすれば三十一歳じゃん。いい加減に良い人を見つけて結婚しなよ」
 それは、兄が未だに独身であること。
 女性受けが悪いわけではない。寧ろ、秀麗な容貌と知名度から異性から慕われることは多く、実際、女性から言い寄られているところを何度も目撃しているし、言い方は悪いがセックスフレンドも居る。それにも関わらず、兄は結婚する様子も、それこそ恋人がいる様子も無い。
「会社を継いでくれる実子だって要るだろうし」
「必要無い」
 モクバの言葉をばっさりと切り捨て、兄は作業の手を止めて弟を向く。
「我が社の次期社長は副社長であるお前だ。その先はお前の子が継げば良い」
 言い切られモクバは動揺した。そうではない。
「確かにオレは副社長だけど……でも、海馬コーポレーションの次の社長には兄サマの血を継いだ者が就くべきだと思うんだ。オレには兄サマほどの実力もカリスマ性も無いし、多分オレの子だって……」
「謙遜することはない」
 謙遜なんかしていない。兄と自分との能力の差など歴然ではないか。
「お前がオレの後を継ぐことに問題は無い。不安があるなら就任までの間にオレに訊けば良い」
「もし、訊こうと思った時にさ。兄サマが鬼籍だったとしたら如何(どう)するんだよ」
 兄は眉を寄せ、暫し考える素振りを見せた後、パソコンの画面へと視線を移した。
「お前なら何とでも出来る」
「兄サマ」
 そういうことではない。
 声を荒げると兄は、面倒臭そうに溜め息を吐いた。視線の先の液晶画面を見遣り、パソコンの終了処理を行う。
「彼女は居ないんでしょ?」
 兄はちらりと弟を見ると、ああ、と返した。だったら、とモクバは続ける。
「見合いの席を設けるからさ。兎に角、お見合いした相手と付き合ってみてよ。そうすれば好きになって結婚に至れるかも知れないじゃないか」
「何処の誰とも知れん女と付き合うなど、苦行以外の何物でもない」
「でも、今、付き合っている人は居ないんでしょ? だったら、試しに」
「惚れた者がいる」
 え、とモクバは小さく叫んだ。
 兄に恋う相手が居る。初耳だ。
「付き合って……は、いないよね?」
 ああ、と答えが返る。
「オレの片想いだ」
 え、と今度は先ほどより大きな声が出た。
 前述した通り、兄は持てる。その兄が――恋する相手が居て尚且つ片想いだなんて有り得ない。信じられない。
「片想いって……勘違いじゃないの?」
「オレに限って勘違いなどするか」
 言葉が出てこない。
 兄はおもむろにデスクに置いていた仕様書の束を取ると、見るでは無しに二、三枚を捲った。
「オレが想う相手はオレを好いていない」
「だけど、兄サマ」
「想いが成就することはない。だが、その者以外は要らぬ。ゆえに結婚などせん」
兄は決めたことを覆すことはない。結婚しないと云うからにはそうなのだろう。
 だが、兄を好いていないという女性が、実は兄に想いを寄せているとすれば。
「兄サマの好きな人って、どんな人?」
 兄は書類を捲っていた手を止めて弟を見る。
「何処で知り合って、いつから好きだったの?」
 兄はレターケースのいちばん上を開け、そこに書類を入れた。ケースを閉じ、兄は口許を綻ばせる。珍しい表情に、モクバは目を見張った。
「高校の同級生だ」
「高校――って童実野高校の?」
 地元の公立高校。在籍時、兄はデュエルディスクを開発し、M&W(マジック&ウィザーズ)の大会も開催した。忙しくしていた当時、兄が恋をしていたなどと思いも寄らなかった。
「どんな人なの?」
 兄は電源を落としたノートパソコンのディスプレイを閉じ、弟に目を向け、その視線を外した。その眼差しは何処か遠くを見つめている。
「そうだな……容姿も性格も可愛らしい奴だ」
 ケースにノートパソコンを仕舞い、兄は立ち上がった。まだ話は終わっていないと引き留めようとすると、兄は振り返る。
「立ち寄る所があるのだが、お前も来るか?」
 唐突な話題転換にモクバは面食らった。
「立ち寄る所?」
 何処なのだろうか。だが、聞きたいことはそこで聞けば良い。モクバは首を縦に振っていた。

 兄が向かった先は海馬コーポレーションが設計し建設したM&Wの闘技場だった。
 この闘技場で主に行われているのはプロフェッショナルの資格を得た決闘者(デュエリスト)たちの試合であるが、海馬コーポレーション主催の模擬試合やアマチュアを交えたトーナメント戦等も開催されている。今でも兄は決闘者(デュエリスト)ではあるが、海馬コーポレーションの総帥として、また開発者としての仕事に注力しているためか、プロのライセンスは取得していない。本日の闘技場でのこれからの予定は玄人決闘者(プロデュエリスト)の闘いが四試合行われる。プロでない兄が闘技場に向かうとなれば、オーナーでありデュエルディスクの開発者でもある立場から解説者として呼ばれているのか――などと考えているモクバを他所に彼は出場者の控室へと歩みを進めた。そして一つの扉の前で立ち止まると、ノックも無しにその扉を開ける。
「うわっ」
 控室の中から知った声が聞こえた。もしかして、と戸口横に設えられたプレートを見ると『城之内克也様』と記されている。
 ――城之内ってあの城之内?
 兄と同じ童実野高校の出身であり、兄の好敵手(ライバル)であった武藤遊戯の友人でもあった城之内克也。モクバとも多少の関わりがあった彼がプロの決闘者(デュエリスト)となっていることは知っていた。
――城之内が此処に?
 室内を覗き込むと、鮮やかな金色の髪の男が「いきなり開けるヤツがあるかよ」と文句を言いながら振り向いたところだった。彼は兄に険のある眼差しを向け、その後ろに立つモクバに気付くと、大きな奥二重の目を更に大きく見開いた。
「モクバ?」
「久しぶりだな。城之内」
 高校を卒業して十余年経つというのに、殆ど変わっていない。見た目だけでなく雰囲気も、モクバが知る高校生の頃の城之内そのものである。
「海馬。お前、オレの雄姿をモクバにも見せたくて連れて来たのか?」
「そう言及するということは、勝利する自信はあるのだな」
「当然だろ」
「賭けるか?」
 問われて彼はニヤリと笑んで「勿論」と答え、兄に向けて人差し指を突き付けた。
「オレが勝ったら、晩飯はお前の奢りな」
「ならば、貴様が負けた場合の夕食は貴様の負担とさせてもらう」
 話についていけない。
 当然のようにやりとりしているということは、これまでにも何度か同じ会話をしてきたということだろう。
 今日はどんな肉を食うかな、などと言いながら城之内はデッキの最終調整を行い、兄はその手元を覗き込んで鼻で嗤った。そんな兄を城之内は睨みつける。
 やがて城之内はデッキを纏めてケースに仕舞い「よしっ」と己を鼓舞しつつ立ち上がった。ちらりと兄を見、その視線をモクバにも向ける。
「行ってくるわ」
 そう言って彼は控室を出て行った。
 扉が閉まるのを眺めてから、モクバは兄へと視線を向ける。楽しそうな眼差しで城之内の痕跡を見ていた兄は弟の視線に気付いた。
「客席へ行こう」
そこで決闘(デュエル)を見たいのだろう。M&Wにはさほど詳しないモクバだが、自信満々だった男の闘い振りを見たくないと云えば嘘になる。兄のことだから特等席を用意しているだろう。
 モクバは頷き、兄に従った。
 
 生中を三個とタン塩と上ロースを五人前と、ハラミを三人前とそれから……と手にしたメニューを見ずに店員に注文する城之内を、随分と慣れた様子だな、と思いながらモクバは眺める。
 試合に勝利したのは城之内だった。途中、窮地に陥りはしたが、彼の相棒とも云えるカード――真紅眼の黒竜(レッドアイズ・ブラックドラゴン)のダイレクトアタックが決め手となった。観客の歓声を浴びながら拳を振り上げた城之内は海馬を見ると満面の笑みを浮かべた。その視線を追うと、兄もまた満足そうに頷いていた。
 ――何なんだ、コレ。
 わけが判らないまま城之内から「お前も来いよ」と焼き肉屋に連行され、店の個室に通されて今に至る。
「貴様はライフを削られ過ぎる」
「うっせー。それも見せ方だっての」
「そのわりには慌てていたようだが?」
「……うっ」
 兄と城之内は決闘(デュエル)の評価をしている。
 まるで、それが当たり前のことのように。
「お待たせしました、生ビールです」


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