『ラヴァンドゥラ・アングスティフォリア』
交際を始めてから凡そ二ヶ月。逢瀬は決まって恋人の邸宅。二人で出掛けたことはなく、手を繋いだこともない。
付き合っている相手が同性のため、互いの世間体を考慮し、彼の弟を除いて周囲の誰一人にも――勿論親友にも、腐れ縁の悪友にも、恋人がいることを隠している。従って、一般的な惚気の一つも言えず、彼と学校で会っても、かつて仲が悪かった頃と同じ辛辣な応答しか出来ない。
――だけど、付き合っているからにはデートっぽいことはしてみたいよな。
城之内は通い慣れた海馬邸のソファーに腰掛けて隣県の観光ガイドブックを開いたまま、対面で書類を捲る邸の主を見遣った。
今、仕事は落ち着いているとは言っていたが、帰宅してからずっとこの調子である。会話をしたのは、夕食時に書類から目が離れた間だけだった。だが、それは今日に限ったことではない。城之内が居ようと構いなしに、彼は今日のように書類に目を通したり、ノートパソコンに向かっていたりしている。恋人を待たせていながら残業で遅くなることも珍しくはない。
――仕事が優先されるのは判っているけどさ。
城之内は見るとはなしに眺めていた本のページを繰る。新たに開いたページには、ご当地B級グルメの紹介として、なにやらごちゃごちゃした丼の写真が載っていた。
――オレ、一体なんなの?
付き合って欲しいと言ってきたのは海馬の方からだった。初めてキスをしたのも、身体を重ねたのも、海馬に求められての行為だった。しかし、それ以外では交際しているような素振りは見せない。当初は、仲が悪かった頃の関係が抜けきれずにぎこちない態度しか取れないのかと思っていたが、一週間が経ち、一ヶ月過ぎ、二ヶ月目になろうとする今も猶、海馬の態度は変わっていない。セックスはしているのだから、一応は愛されてはいるのだろう、と考え、はたと気付いた。城之内は海馬から好きだと言われたことはない。この関係の切っ掛けになった文句は恋の言葉ではなかった。自分は寝所で海馬を受け入れながらうわ言のように「好きだ」と繰り返しはするが、それに応えが返ったことはない。
――オレ、マジで海馬のなんなの?
愕然とした思いで見つめる先で、不意に海馬が視線を上げた。城之内と目が合うと「如何した?」と僅かに表情を緩める。
「あ、いや……その」
唐突に話かけられて対応出来ずに口ごもり、取り敢えず手にしていたガイドブックを差し出した。開いていたページには体験型の農業公園レジャー施設が紹介されている。
「次の休みにさ、そこに行ってみねぇ?」
「構わんが……アルバイトは休めるのか?」
「シフトを代わってもらうから大丈夫」
そうか、と頷き海馬は手帳を開いた。
「ならば日曜日に行こうか」
やった、と小さく声をあげて拳を作ると海馬は軽く声をたてて笑う。
好かれているような雰囲気が堪らなく嬉しい。返されたガイドブックを受け取り、城之内はえへへと笑った。
待ち合わせは童実野駅に午前十時。
遅れることなく、寧ろ二分ほど早めに城之内が駅に着くと、海馬が人待ち顔で立っていた。 黒を基調とした服装のために、白い顔と手がより白く見える。秀逸な容貌の所為で、周囲の――とりわけ女性の注目を浴びている彼の元に向かうの
に気後れしてしまい、城之内は、如何したものかと立ち止まった。
近付き辛い、だからといってこんなに距離をおいて突っ立っていても仕方がない。
地面に貼り付いていた足を引き剥がそうとした時、海馬が城之内に気付き、表情を和ませて軽く片手を上げた。同時に突き刺さってくる多くの視線。あの男の待ち合わせ相手がオレみたいな貧相な奴で悪かったな、と口の中で毒吐き、城之内は足早に海馬の元に向かうと挨拶もそこそこに目線で「行くぜ」と合図し、逃げるように駅構内に入る。追い付いた海馬が券売機で二人分の切符を購入し、一枚を城之内に渡した。
「帰りはオレが買うな」
そう言って受け取ると、海馬から気を遣うな、と返される。
「オレの方が財力があるのだ。遠慮なくあてにしろ」
「そういうわけにゃいかないだろ」
それに応えず、海馬は先に改札を通り、足を止めて振り向いた。早く来いと言わんばかりの様子に、城之内は短く嘆息して改札機に切符を通す。海馬に追い付きそのまま抜かそうとすると、それを読んでいたかのように、彼は同じ歩調で城之内の隣に並んだ。
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『うつせみ』
海馬に会う夢を見る。
生活感の全く無い部屋。壁に沿うように設置された重厚な造りのデスク。その上にはパソコンやモニター、書類やペン立て、書物等が載せられている。
そのような空間に海馬は居る。
彼は此方に気付くと振り向き、「また来たのか」と相好を崩す。
うん、と頷き海馬の許へ歩み寄る。
モニターを見ても表示されている内容が理解出来ないことは、既に判明している。
穏やかな眼差しを向ける彼の許へと、いつも通りに身を寄せる。
机に手を付き、顔を近付ける。
唇を重ねる。
「うん。来た」
そう返すと、今度は海馬の方から口付けてくる。
「お前、いつもパソコンを弄っているのな」
「弄っているとは人聞きの悪い。仕事だ」
「仕事なら会社でしてんじゃねぇの?」
「しているとも。今は忙しく、残業をせねばならんのだが、帰宅が遅くなればモクバに心配をかける。従って、こうして持ち帰ってきているのだ」
へぇ、と画面へと視線を向ける。英数字と記号が並び、やはり意味が判らない。
「これを仕事にしろって言われたら、オレ、絶対にやっていけねぇ」
海馬は笑い、机についた手を撫でる。腰が引き寄せられ、否応なく彼の腿の上に座らされる。
現実であれば恥ずかしくなるような体勢。だが、これは現実ではない。
海馬はモニターの中の数行を指差す。
「ここではループ……繰り返し処理をしている」
耳許で聴こえる声と背に感じる体温が心地よい。
「――と説明したところで、貴様には判るまいが」
「うるせぇよ」
海馬は画面から指を離し、腕を身体に絡めてくる。強く抱きしめられ、身を彼に預ける。
幸せな、とても幸せな夢。
城之内は夜毎、夢に浸る。
その夢を見始めたのは三週間ほど前だったと思う。日付はあやふやだが、夢の内容はしっかりと覚えている。
その日、気付くと彼は、生活感の無い部屋に居た。目の前に設えられた大きな書棚には難しそうな、城之内の興味を全く引かない本が並んでいる。見覚えの無い空間に、タタタと何らかの――パソコンのキーボードを打つような音が響く。
――此処……何処なんだ?
就寝すべく、自室の照明を点け放しにしたまま、煎餅蒲団に潜り込んだはずだ。それなのに何故、このような場所に居るのだろうか。
「夢?」
呟くとタタタと鳴っていた音が途切れた。
そうだ、夢だ。このような見知らぬ部屋は、無意識が見せる創造物に違いない。
「そうだ、夢なんだ」
「貴様、如何やって此処に入った?」
自身に言い聞かせた文句に重なる声。
聞き知った声音に、まさか、と城之内は後ろを向く。
その先にはパソコンが置かれたデスクがあり、手前のチェアには想定通り、高校のクラスメイトである海馬が座っていた。
「おいおいおい、オレって此処まで拗らせてんのかよ」
呆れて苦笑することしか出来ない。恋う相手が夢に出てくるなど、まるで陳腐な恋愛漫画のようではないか。
「もう一度問う。城之内、貴様は何処からどのようにして此処に入ってきた?」
「夢の中でも海馬は海馬だな。笑ってくれとは云わねぇけど、睨まれるのはちょっと嫌だな」
「貴様は質問が理解出来んのか?」
鋭い眼差しを向ける彼に、城之内は溜め息を吐く。それに気を害したのか、険しい表情が不快さを纏った。
「夢なんだからいきなり知らないような場所に居たりするだろ。どうやって入ってきたも何もねぇっての」
己の脳が作り出した幻影に説明していることが滑稽で、噴き出してしまう。対する海馬は眉間の皺を深めた。
「貴様、何を言っている」
「なんだよ。折角なんだから、その不機嫌なツラは止めろよ」
仲良く談笑、とまではいかなくても、せめて普通に接して貰いたい。これでは現実の関係と何ら変わりないではないか。
「これがオレの想像力の限界なのかも知れねーけどよ。夢ン中でくらい、好きなヤツの笑った顔とか見せてくれてもいいじゃねーか」
その台詞に海馬から剣呑さが失せ、同時に彼の双眸が大きく見開かれた。普段大人びた顔立ちが些か高校生らしくなり、そのような表情が見られたことに嬉しくなる。
「貴様はオレのことが好きなのか?」
「好きだぜ。惚れている。つぅか、これってオレの頭の中の出来事じゃん。小っ恥ずかしいことをわざわざ確認しなくても判ってんじゃねーのか?」
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『朝も昼も夜の帳の下でも』
高校生の頃に恋をした。
相手は不仲なクラスメイト。
決して叶う事はないからと、
想いを胸中に秘めて日を送り、
そのまま卒業した。
大学進学はせずに就職し、既に十年が経った。
だが、未だにあの恋を忘れられずにいる。
就業の定刻時間を三時間半ほど過ぎてから、城之内は会社を出た。彼を残業させる羽目になった後輩は頻りに謝罪していたが、「困った時はお互い様だろ」と軽く肩を叩いて労い、ひとり駅へと向かう。
就職してから実家を出た城之内は、今も童実野町に住んでいる。会社は自宅最寄りの童実野駅から五駅離れた場所に在るため、そちらに居を構えた方が通勤は楽なのだが、住み慣れた街を離れるつもりにはなれなかった。
電車に揺られて二十分足らずで童実野駅に着き、改札を出て定期券を鞄に仕舞ったところで城之内は足を止めた。今日は金曜日だ。この界隈で呑んで帰ろう。多少深酒をしても明日は休みだ、仕事に差し障ることはない。
駅舎を出て少し歩けば、居酒屋が軒を並べる。花金であるためか、どの店もサラリーマンで賑わっていた。城之内は路地を一つ奥に入り、馴染というほどではないが、時々訪れる店の扉を開けた。店主が酒に拘りがあるらしく、珍しい地酒や入手し難い日本酒が置いてあるところが気に入っている。
たいして広くない店内に所狭しと設えられたテーブル席は既に埋まっていた。出迎えた店員に一人であることを告げると、カウンター席に通されるが、いつも陣取る角の席には先客が居る。店の混雑具合を見ると、この後も客が増えると思われる。ならば、なるべく席を詰めた方が良いだろうと、城之内はその先客から椅子一つ分を空けた場所に座った。
注文を訊かれて「取り敢えず生中」と応え、差し出されたお絞りを受け取って手を拭きながら、ふと気付く。視野の端にしか入っていない隣席の客は、やたらと仕立ての良いスーツを着ていないか。こんな鄙びた店に場違いだな、と口許だけで笑い、どんな人物なのかという興味から、隣へと視線を向ける。
その表情が固まった。
「……海馬?」
声を発すると隣の席の人物が振り向く。
整った白皙と澄んだ蒼い瞳。
その切れ長の双眸が見開かれた。
「城之内……」
何故此処に居るのかと言いたげな眼差しを向けるかつてのクラスメイトに、寧ろ此方が問い質したい。
この国を代表するアミューズメント企業の総帥で、アメリカに進出し、経営も商品開発も販売も何もかもが順調であるはずの彼が何故、童実野町のこぢんまりした居酒屋のカウンター席の隅で、選りに選って桝酒を煽っているのか。肴は何かと見てみれば、枝豆と焼き鳥である。
「海馬だよな? こんなとこで、何してんだ?」
「酒を呑んでいるようには見えんか?」
「いや、そうなんだろうけど」
お待たせしました、と正面からカウンター越しに生ビールで満たされた中ジョッキと、突き出しの煮物が渡された。ついでとばかり、給仕に「とんぺい焼きを」と注文し、再び海馬を向く。
「如何して、こんな居酒屋に居るんだって意味。お前、金あるんだから、お高い料亭にでも行けるだろ」
ああ、そういうことだったのかと独り言ち、海馬は周りを見渡し、城之内へと視線を戻した。
「久しぶりに帰国したためか、童実野町の庶民的な雰囲気を感じたくなってな」
「金持ちの考えは判らねぇな」
突き出しを口に放り込み、小鉢の中の残りを箸で転がす。
「貴様はひとりで呑みに来たのか?」
「見りゃ判るだろ」
「いつもオトモダチと群れていた貴様にしては珍しい」
「仕事が終わる時間がまちまちだし、あいつらにも都合ってものがあるんだよ」
高校の頃、親しくていた仲間達とは今も付き合いがある。だが、それぞれ職種も勤務先も異なり、当時のように気軽に毎日のように会うことは出来ない。
「それに所帯を持ったヤツもいるしなぁ……」
と、先月に第一子を授かった友人を思い浮かべ、「あ」と城之内は海馬の方を向いた。
「そうだ、海馬」
思い出したのはゴシップ誌で取り上げられていた記事。その表紙に小さく書かれた見出しを見て、普段手にも取らない雑誌を買った。
「早くもバツ2なんだってな」
訊くと彼はあからさまに不快な表情を浮かべた。
「……何故知っている?」
「何故って、お前、自分が有名人だって自覚ねぇの? それに二度目の結婚相手なんてモデルだったから、結構話題になってたんだぜ」
ゴシップ誌に掲載されていた記事。そこに添えられた写真で見た海馬の結婚相手は、一度目も二度目もブロンドの美人だった。そのどちらの相手とも、海馬は二カ月と経たずに離婚している。
「そりゃあ、こいつの性格の悪さを考えると、ひと月以上もったことの方が凄いけど」
「独り言のように暴言を吐きおって」
海馬は酒を煽り、焼き鳥の串を取った。見るからに育ちの良さそうな美丈夫がねぎまを食べるという、何処となく不似合いな様を城之内は見つめる。
海馬には悪いが、彼が離婚したと知った時、二度とも歓喜した。嬉しくて、それを報じる雑誌を購入し、同じ記事を幾度も繰り返し読んだ。それはこの男が嫌いだからではない。
逆に――、
「お待たせしました」
過った考えに至る前に、給仕がとんぺい焼きを持ってきて城之内の前に置いた。
「なんだ、それは」
ソースとマヨネーズが掛けられた料理を、海馬は奇妙なもののように見ている。
「とんぺい焼き。知らねぇの?」
反応は無くても先の問いが答えになっている。居酒屋の定番料理だが、海馬が知らないのは仕方の無いことだろう。
彼が渡米したのは高校の頃。つまり、それまでは日本に居たが飲酒できる年齢ではなかった。役職柄、接待はしていただろうが、この男が行くような店にはこんな庶民的な一品は無かっただろう。アメリカに拠点を移してから此方、どの位の頻度で帰国しているのか、そもそも帰って来ていたのかも判らないが、始めの方に交わした口振りから、この手の店に入るのは初めてなのだと推測出来る。
城之内は取り皿を海馬の前に置き、料理を互いの間に移動した。
「折角だから食ってみろ」
海馬は城之内を怪訝そうに見る。
「貴様の食らう分が減るぞ」
「居酒屋なんて、居合わせた連中で同じ料理をつつき合うものだろ」
言いながらとんぺい焼きを適当に切り分け、海馬の取り皿に乗せた。湯気が上がった切り口からは豚肉とキャベツが見える。
「オムレツか」
「だから、とんぺい焼きだっての」
海馬は綺麗な手付きで料理を切り分け、口に運んだ。
「ソースとマヨネーズの味が混じったオムレツではないか」
「もうそれで良いや」
城之内もそれを箸で大きめに掬って頬張り、ビールを喉に流し込む。海馬はそんな城之内を見つめ、給仕に「刺身の五種盛りを頼む」と言い、とんぺい焼きを食べ進める。
「美味いだろ?」
「庶民的な味だな」
彼は焼き鳥の皿を城之内の前に置く。皿にはせせりとつくねが残っている。わけが判らずに首を傾げ、海馬を見た。
「同じ皿をつつき合うものなのだろう? だから貴様にそれを呉れてやる」
「……海馬?」
彼らしくない。他人に合わせるなど、まして城之内の意見を聞き入れるなど、かつての海馬からは想像も出来なかった。
「社会に揉まれて、嫁さんもつくって、多少は人間らしくなったってことか?」
「それは独白のつもりか、それとも、オレへの語り掛けか」
「お前が意外なことをするから、つい声になっちまっただけだっての。聞いてんなよ」
「聞かれたくないなら、その口を閉じていろ」
「口を閉じたらメシが食えないじゃん」
城之内は焼き鳥の皿を引き寄せると、せせりの串を摘まみ上げ、皿の上で肉を串から外す。つくねも同様に串から外し、せせりを一つ口にしてから皿を真ん中に寄せた。
「こうすれば、お前も食えるだろ?」
なるほど、と合点がいったように呟き、海馬は穴の開いたつくねを摘まんだ。
「随分と慣れているようだな」
「そりゃあ、社会人を十年とやってれば、会社の飲み会に何度も参加しているわけだし。それに同僚や友達とも呑みにいくしさ」
海馬は枡を空にし、後ろを通り掛かった店員に「同じものを」と注文する。はい、と承った彼女が「十四代追加」と厨房に言うのを耳にして、城之内は危うく傾けたジョッキの中身を噴き出すところだった。
「十四代って、この店でいちばん高い酒じゃん」
十四代の純米吟醸。常々、こんな大衆居酒屋で誰が注文するのかと疑問に思っていた酒である。まさか、それをオーダーする声を聞く日がくるとは考えもしなかった。
「値段を気にしてどうする。呑みたいものを呑むものだろう」
「金持ちの発想だな」
「貴様、日本酒はいける口か?」
「あ? 結構好きだけど」
そうか、と頷き、海馬は酒を持ってきた店員に「もう一合」と注文し、運ばれてきたばかりの純米酒を城之内に差し出した。
「奢りだ。呑め」
「……は?」
城之内は枡酒と海馬を交互に見る。
「如何して?」
「好きなのだろう?」
「そうだけど……」
海馬が城之内に一杯を奢る理由が判らない。確か、高校在学中は仲が悪かったはずだ。顔を合わせれば馬鹿にされ、城之内の方も周囲に窘められるまで暴言を吐いていた。
如何したものかと手を出せずにいると、給仕が追加の酒と刺身の盛り合わせを海馬の前に置いた。
「ほら」
と、海馬は刺身の盛り合わせも真ん中に寄せる。
「十年ぶりに再会したついでだ。遠慮せずに食え」
笑みすら浮かべて言い、酒を傾ける。
「ひょっとして酔ってる?」
「酔っているように見えるか?」
「いや、全く」
顔に出ないだけで、実はそこそこ酩酊しているのかも知れない。そうでなければ海馬が城之内に対して好意的であるはずがない。
「でも、ま。折角だからイタダキマス」
城之内は手を合わせてから枡の中の杯を取り、酒を含む。ふくよかな香りが口内に広がり、口当たりの良い酒が喉を潤した。
「あー。良い酒はやっぱ美味いな」
染み入る味わいに感動して口を吐いた台詞に、海馬が口許に運ぼうとしていた杯を卓上に戻し、肩を震わせる。何か可笑しなことを言ったかと、発した言葉を思い返していると「貴様は変わらないな」と呟かれた。
「社会に出たとは思えないくらいに純粋だ」
「何だって? 馬鹿にしてんのか?」
「感心しているのだが」
笑いを治め、海馬は刺身の盛り合わせから鮪を取る。黒鮪ではないな、と不満げに言い、次いで間八を摘まんだ。
「高校の頃の貴様は感情の起伏がそのまま態度に出ていた。それが年を経ても変わっていない」
誉められているわけではないだろうが、城之内に対して無関心だと思っていた海馬がそんな面を見ていて、その上、覚えられていたことが照れくさい。
「性格なんだよ。そうそう変わるかって」
照れ隠しにとんぺい焼きを頬張り、居心地の悪さを誤魔化すためにメニュー表を取り、目を通す振りをする。見るとはなしに眺める目に、季節外れの一品が映った。
「なぁ」
と、城之内はメニュー表から視線を外さずに呼びかける。
「お前って今でもおでんが苦手なわけ?」
視野の端で海馬が振り向いた。表情までは見えないが、恐らく驚愕の眼差しを向けてきているのだろう。
「苦手だが。よく知っているな」
「まぁな……前に何かの拍子にモクバに会った時に、どういう話の流れだったのかは忘れたけど、あいつが言ってたんだよ。誰もが好きなおでんが嫌いってぇのが意外だったから覚えていただけ」
メニューに書かれた料理を値段と照らし合わせながら読み、城之内はカウンター内の店員に「すみません。磯部揚げを一人前」と注文し、刺身を摘まんだ。
「磯部揚げは食えるだろ?」
「ああ」
海馬はくくっと喉を鳴らした。
「貴様は随分と丸くなったな」
丸くなった、そう聞こえたが城之内としては高校の頃と較べて性格が柔和になった覚えはない。確かに無茶はしなくなり、喧嘩早さも落ち着いたが、それだけで丸くなったと形容されるものだろうか。首を傾げていると、「オレに対して噛みつかなくなった」と応えが返った。
「噛みつくって、オレは犬かよ。つーかあれは、お前が何かと馬鹿にしやがるからだろ」
「馬鹿にされるだけのことをしていたと記憶しているが」
「してねぇよ!」
つい立ち上がって怒鳴ると、客や店員が一斉に振り向いた。視線を一身に浴びた気まずさに城之内は後ろ首を掻き、場の空気を乱したことを謝罪するために頭を下げてから座り直した。海馬は口許を手で覆って肩を震わせている。
「お前の所為で恥をかいた」
不貞腐れて酒を一口煽り、喉を落ちる風味でそれが上質の酒だったと気付き、勿体無いことをしたと悔いた。それがあからさまなほどに表情に出ていたのだろう、海馬が声を立てて笑う。
「うるせぇよ」
「相変わらず、退屈せん奴だな」
食え、と海馬は城之内の取り皿に鰤と鮪、烏賊を乗せる。それをすべて平らげ、城之内は仏頂面を崩した。
「らしくない事をしやがって」
「久々に再開した同級生と険悪になっても仕方が無い」
「ンな言い方されたら、さっき怒鳴ったオレが滑稽じゃん」
「否定はしてやらんぞ」
やっぱ、嫌なヤツだ、と舌打ちし、暫くして運ばれてきた磯部揚げも二人で分け、飲み物を追加しながら他愛もない話をしているうちに時間が経っていたらしい。ラストオーダーですが、と言う店員に「もう結構です」と返し、残った酒を飲み干してから席を立つ。先にレジに向った海馬は、金額を入力する店員に「会計を纏めてくれ」と言い、城之内の手から伝票を取り上げた。
「待てよ、海馬。お前に奢られる謂れはねぇよ」
「オレの方が財力はあるし、社会的地位もある。奢られていろ」
「そういうわけにはいかないだろ」
あの、と困惑する店員に、海馬はクレジットカードを渡し、二人分の会計を済ませる。
「おい」
「そこは、ご馳走様、だろう」
「半分払うぜ」
「要らん」
「お前が注文したもんをオレも食ったわけだしさ」
「それを言うなら、オレも貴様が注文した料理を遠慮も無しに食べたが?」
一瞬、言葉に詰まった城之内の肩を軽く叩いた海馬に「良いから馳走させろ」と言われ、「じゃあ、ご馳走さま」と財布を仕舞うと、彼は満足げに頷いた。
店を出て並んで歩きながら城之内は隣の男を窺う。どういった偶然かは判らないが、こうして再会することが出来た。此処で別れてしまえば、互いに立場が違う以上、再び会うことは無いだろう。
「なあ」
と、城之内は海馬を呼んだ。
「あのさ、時間があったらなんだけど、オレん家で飲み直さないか? 此処から結構近いんだけど」
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