晴れ渡った空。
零れる汗で濡れた手拭い。
城之内は工具を置いて整備を終えた戦闘機の下から這い出る。主翼の影から出た途端に強い陽射しが降り注いだ。
「ぬっかなー」
空を仰いで呟き、略帽と称される戦闘帽を取って額に浮いた汗を袖で拭うと、背後からククっと抑えたような笑い声が聞こえ、城之内は慌てて手拭いで頭部を覆って振り返った。
「一日に何度暑いと言えば気が済むのだ?お陰でその方言を、発音まで忠実に再現出来るようになってしまった」
ちっと舌打ちし、荒々しく手拭を取り払うと、くせの強い金色の髪が舞う。
「餓鬼が何の用だよ」
睨み付けると上空に広がる青と同じ色彩の瞳が細められた。
この、海馬瀬人という名の年若い兵はつい七日前に、受領した三式戦闘機『キ61』と共に、此処、知覧基地に移動してきた。高等学校に在籍していたが退学し、陸軍士官学校の兵科に入学し直して航空兵になったと聞いている。飛行訓練を積み、特別攻撃隊の隊員として此処に到着した初日、海馬は整備場を訪れた。城之内は一式戦闘機の油圧系統の不具合を修理する手を止め、新参の航空兵を眺める。自身に宛がわれた機体の状態を観に来たのだろうか、それとも、愛機を預ける場所と整備兵達を確認しに来たのだろうか、などと考えていると、彼は一式戦闘機の傍に佇む城之内に気付いた。視線がかち合い、拙い、と城之内は頭に手を遣る。日本人としては稀有な色素の薄い髪は悪目立ちして奇異の、或いは嫌悪の目に晒されることが多い。案の定、この新入りの兵も驚いたように切れ長の双眸を瞠り、息を飲んだ。暫くそのまま凝視していた彼は、機体を廻り込んで城之内に近付いてきた。
「ひよこみたいな髪だな」
低めの、よく透る声がそう紡ぐ。
ひよこ、と繰り返し城之内は、男の視線をなぞるように己の金茶色の髪を摘まんだ。
「毛唐どもと似た色だ。米英の間諜と間違われて討たれんように気を付けることだな」
初対面の人間に、しかも航空兵達が身を預ける戦闘機の整備要員に対する侮辱。
かっとなり、城之内は彼の胸座を掴み、このくそ餓鬼が、と罵った。それを嘲笑うように口角を吊り上げた彼に対する心象は以来、すこぶる悪い。顔を合わす度に一言文句をいわずにはいられないほどである。
今日もまた、城之内が睨む先で海馬は三式戦闘機を眺め、その視線を整備兵へと向けた。
「十ばかり年嵩なだけで、子供呼ばわりするとはな」
「いや、十歳の差って大きいだろ。てめぇがおぎゃーって生まれた頃にオレは既に小学生だったんだからな」
海馬はふん、と鼻を鳴らし、戦闘機の主翼に触れた。
キ61は日本軍唯一の液冷式発動機を搭載した戦闘機であり、空冷式の星形発動機よりも構造が複雑である。その複雑さゆえか、それとも物資不足で適した素材が調達出来ない所為か、故障が多く扱い難い。そんな戦闘機を海馬は自在に扱い、安定した飛行をする。性格いかん如何は兎も角、操縦士としての優秀さは認めざるを得ない。
「貴様が整備した戦闘機は、今まで乗ってきたものとは段違いにあつかい操縦やすい」
唐突な褒め言葉に城之内は面食らった。他の隊員からは整備の礼を言われ慣れてはいるが、この不敬な兵の台詞に、いつもとは異なった嬉しさが込み上げてくる。
「当然だろ。オレの腕は知覧一……つーか大日本帝国一なんだからよ」
照れ臭さから素直に礼を言えず、わざとらしく胸を張って見せる城之内を、海馬はじっと見つめた。澄みきった空を思わせる碧色の瞳が、まるで心の中まで見透かしているようで、落ち着かない。そんな思いに気付きもせず、海馬は一歩ずつ距離を詰めてくる。
「見た目の軽薄さだけで判断してはならんと云うことだな。よい勉強になった」
「てめぇは誉めたいのか貶したいのか、どっちなんだよ。つーか、オレの方が階級が上って自覚あんのか?」
海馬は主翼に手を掛けたまま、上背を利用して城之内を見下ろした。
「堅苦しいことを言う前に、上官らしい威厳の一つでも見せてくれればな」
褒められて浮ついていた気分が下降する。何故、この男は一々、城之内の不興を買うような発言をするのか。
「こんな所で油を売っている暇があるんなら、航空兵仲間たちとの親交を少しでも深めてこいっての。お前、いつも一人で居るじゃん」
「連中と馴れ合いたいとは思わない」
「……はぁ?」
取り付く島もない言い種に、間の抜けた声が口を吐く。共に出撃する仲間を、一体何だと思っているのかと呆れていると、海馬が不意に笑みを浮かべた。
「気にしてくれているのか?」
言われた意味が判らず、もう一度脳内で言葉を繰り返し、瞬時にして頬が熱を持つ。
「ちっ、ちごかっ……じゃなくて、違うっての!」
色の変わった顔を反らせると城之内は、慌てて戦闘機の下に置いたままの工具を拾い集めた。持ち場を離れようとしたところ、上腕を掴まれる。
「顔が赤い」
城之内は、可笑しそうに覗き込んでくる海馬に「うるせぇ」と怒鳴り、手拭を投げつけた。そのまま腕を振り解き、足音荒く整備場を出る。
やはり気に食わない。虚仮にしやがって。
苛立ちの所為で、ただでさえ暑いというのに余計に暑くなってくる。
城之内は足を止めて振り返った。海馬が戦闘機に凭れ掛かるようにして此方を見ている。
長身の痩躯。顔立ちは秀麗で、短期間とは云え高等学校で勉学に勤しんでいただけあって頭脳も優れている。
不遜な海馬に腹を立てることは多かったが、不思議にも城之内は彼を嫌いではなかった。同僚の整備兵達に「随分と気に入られたものですね」とからか揶揄われて「冗談きついっての」と顰め面で返しながらも、悪い気がしない程度には気に掛けている。もしかすると、国土を護る為に己が身を投じるという姿勢に、少なからず感銘を受けたからだろうか。理由は定かでないにしろ、あの特攻隊員が此処に少しでも長く居てくれるよう願わずにはいられなかった。
非番の日、城之内は知覧の南西に在る街・枕崎へ行こうと考えた。彼が生まれ育ったその町には知人が多く、特攻基地で整備兵をしている城之内のことを、彼等は気にかけてくれている。顔を見せて変わり無いことを知らせ、それから学生時代からの親友の許を訪れ、港へ行って野菜と魚介を交換して貰おう。
城之内は手拭で頭を覆い、その上に麦藁帽子を被って頭部を覆い隠した。目立つ金色の髪を隠すための格好だが、厳しい陽射しから頭を護ってもくれる。彼は野菜を詰めたトロ箱と財布を持って自宅を出、知覧駅から鉄道であた阿多まで行き、枕崎線に乗り換えて終着駅で降車した。
海を臨む町は潮の匂いがする。城之内は胸いっぱいに空気を吸い込みながら、車内で固まった体を大きく伸ばした。よし、と気合を入れてから駅舎を出ると、先ずは親友の自宅へと向かう。
ほぼ一ヶ月ぶりに訪れた二階建ての家屋の戸を開けて麦藁帽子を取り「御免ください」と奥へと呼び掛けると「はーい」と声がして、小柄な友人が顔を覗かせた。
「城之内くん!」
「遊戯、久し振りだな」
親友の明るい笑顔を前に、頬が自然と緩む。入ってよ、と言われるままに上がると居間に通された。ちょっと待ってて、と部屋を出て行った友人は、城之内のために茶を煎れて戻り、卓袱台を挟んだ正面に座る。
「毎日、暑いよね」
差し出された団扇を受け取り、顔を扇ぎながら近況尋ねる。友人は、皆変わりなくやっていることや、最近可笑しかったことや失敗談などを語った。
喉が渇いていた所為で、熱いはずの茶は直ぐに無くなり、気付いた友人は注ぎ足してくれる。
「知覧は大変でしょ?」
ぽつりと友人が溢した。
「城之内くんも、本田くんや他の中学校の同級生たちも兵隊さんになって御国に尽くしているのに、徴兵検査でボクは……」
「あれは医師がヤブだっただけで、お前は悪くないだろ」
二十歳になったら受けねばならない徴兵検査に於いて、この友人は当日に風邪を引いて咳が止まらず、担当した医師に結核と誤診され不合格となっている。当人は落ち込んでいたが、城之内をはじめ友人たちは顔には出さなかったが安堵していた。
「それにさ。遊戯は争いごととか苦手だろ?そんなお前が戦争に行かずに済んでいるんだ。実は此処だけの話、あのヤブ医者に感謝してるんだぜ」
友人は微かに笑みを見せ、それから声を潜めた。
「城之内くんは、その……玉砕覚悟で飛び立っていく特攻隊員を見送るのは辛くないの?」
航空隊の兵たちは皆、この国や故郷の家族を護る為に、死を覚悟しつつ、それぞれの信念を持って出撃している。彼等はまだ年若く、生命力に溢れている。航空隊に入らなければ、他の生き方も出来ただろう。そんな兵たちが死地へ向かう姿を見るのが辛くないわけが無い。だが、それを口にすれば、この人の良い友人は、城之内の心情を我が事のように慮って苦しんでしまう。
「ちょっと前に、くっそ生意気なヤツが知覧に来てさ」
重くなりかけた雰囲気を替えようと、城之内は敢えて明るい口調で話し掛けた。
「初対面でオレの髪を指して毛唐だのひよこだの言いやがってさ。昭和生まれの餓鬼のくせに、ちょっと操縦が上手いからって調子に乗んなっての」
大袈裟に眉を顰めて言うと、友人は驚いたように目を見開いた。
「城之内君が特定の兵隊さんの話をするのって初めてだよね」
「そうか?」
「そうだよ」
そうだったかな、繰り返しつつ首を傾げ、茶を啜る。
記憶を辿ってみると、確かに友人の言う通り今迄、自身の近況を語りはしても、整備のことも、上官や同僚、航空兵たちに関しても、彼や他の知人等に述べたことは無かった。
――あいつ、愚痴を言いたくなるくらいに、性格が悪いからな。
笑いそうになったのを唇を噛んで遣り過ごし、
「それよりも」
と、別の話題を振る。
他愛無い雑談に興じている間に時間は過ぎ、湯呑みは空になった。気を利かせた友人が、急須を指してもう一杯飲むかと勧めてくるのを断り、「長居しちまって悪いな」と腰を上げる。ううん、と友人は首を横に振った。
「他にも寄っていくの?」
「ああ。港の梶木んとこに行こうかと。魚か巻貝があれば良いけど、無くてもつけ揚げはあるかなって」
玄関先まで見送に出てくれた友人に茶の礼にと糸瓜を渡し、「じゃあな」と手を振ってトロ箱を抱える。港への道中、正面から射す陽が眩しかった。
用を済ませた城之内は枕崎駅に戻る。駅員から切符を買い、プラットフォームへ向かおうとすると、視野の端に子供の姿が見えた。十歳程の、髪の長い子供は防空頭巾を脇に抱え、通り掛かる大人を捕まえて何事かを尋ねては、答えを得る度に怪訝な表情になって小さな肩を落としている。見るところ保護者は居ない。
困っている様子の子供を放っておけず、城之内は彼に近付いた。一応何処から来たのかを確認しておこうと子供の左胸を見るが、縫いつけられている名札は防空頭巾で隠れ、記されている住所氏名が読み取れない。
「わい、ないをしちょっと?」
訊ねると、子供は突然話しかけられたことに驚愕したのか、大きな黒目がちの目を見開いて城之内を見上げた。次いで眉を顰めて俯く。
「またかよ……何を言っているのか判らねぇよ」
呟きの語調から、子供が鹿児島外から来たと判る。県外の者には鹿児島の方言が通じない。城之内は問い直すべく、背を屈めて子供の顔の位置に目の高さを合わせた。
「お前さ、何やってんの?」
今度は言葉が理解できたらしい。子供はぱっと顔を上げて城之内を見つめ、シャツの裾を掴んだ。
「知覧って駅に行きたいんだけど、その……うっかり列車で寝過ごしちまって」
「知覧?」
「うん……阿多ってところで乗り換えのために降りなきゃ駄目だったんだけど……気付いたら此処――終点でさ」
子供が持つ紙を見れば、東京駅からの列車の路線名と乗換駅が書き込まれている。その最後の方には、
『西鹿児島で鹿児島本線に乗り換え。
伊集院で枕崎線に乗り換え。
阿多で知覧線に乗り換え。
知覧で下車』
と、記されている。
「知覧に何の用なんだ?」
子供が好んでいくような場所でもない。在るものは城跡と茶畑、それから南方戦線用の特攻基地くらいのものだ。
「兄サマが居るかも知れないんだ」
ニイサマ、と聞き慣れない言葉を繰り返し、語幹からそれが兄を指すものだと思い至る。
「この前、この手紙が届いて……」
と、子供は肩がけにした鞄からきちんと畳まれた一通の紙片を取り出した。受け取り、許可を得て開く。
前略
鹿兒島ヘノ赴任ノ辞令アリ。出撃ニ備フル。
君ノ多幸ヲ祈ル。
昭和二十年七月吉日
瀬人
海馬モクバ様
「兄サマは航空隊の兵隊なんだ。その兄サマが鹿児島に行くって……しかも出撃に備えるって、もしかすると特攻隊に入ったのかもって」
「基地は他にも鹿屋とか国分とかにも在るからなぁ……かごんまちだけじゃ、お前のあんやんの居場所は判らねぇよ」
「……あんやん?」
「あ、わりぃ。こっちの方言。にーさまのこと。かごん……じゃなくて鹿児島は広いし、基地も一か所に固まって在るわけじゃない。それに、特攻兵だったとしたら、たいてい数日で攻撃に出るからな。辿り着けても会えない可能性だって……」
「それでも!」
と声を張り上げた子供の眼差しは決意に満ちている。
「例え鹿児島中の基地を回っても、兄サマと会うんだ!」
必死な様子に諦めろとは言えず、城之内は小さく息を吐いた。
声を掛けたからには、見捨てるわけにもいかない。
「当てずっぽうで探すのは要領が悪いからさ、陸軍か海軍かで絞り込もうか。にーさまは陸海のどっちなんだ?」
航空隊は陸海とそれぞれが別に持っている。いずれに属しているか判れば、その軍が持っている基地の場所を教えてやれば良い。
「陸軍だぜい」
「ってことは、お前が行こうとしていた知覧に行って、居なければ万世……」
言いながら手紙を返そうとしてふと気付く。手紙の宛名――つまり、この子供の名は『海馬モクバ』、送付した者の名前は『瀬人』。
「もしかしてお前のにーさまって、海馬瀬人?」
「え?そ、そうだけど、知ってんのか?」
「瞳の色が蒼くって背の高いヤツだったら、面識あるぜ」
子供の表情が瞬く間に喜色を帯びる。彼は防空頭巾が落ちるのも気にせずに城之内にしがみついた。
「兄サマのところに連れて行ってくれよ。頼む!」
開襟の衣を掴む手は、力が籠もり過ぎて白く変色し、且つ小刻みに震えている。
城之内は必死の形相の子供に笑み掛け、その頭を掻き回すように撫でた。
「勿論」
そう答えると、子供は表情を緩めて大きく頷く。
城之内は防空頭巾を拾い上げて子供に差し出し、線路の先を示した。
「寝過ごしたから判ると思うけど、この路線を戻って乗り換えなきゃならねぇ。疲れてないか?」
「平気だぜい」
大きく首を縦に振り、子供は渡された防空頭巾を受け取った。
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