SUMPLE


胸部に感じる鋭い痛み。
此方を見る蒼い瞳。
言わなければならない事があるのに、音を発しない喉。
失われていく視力と、耳に届く己を呼ぶ声。



――それが最後の記憶。





容赦なく陽が照りつける灼熱の地。
ナイル河の西方に在る乾いた土地には、至る所に古代文明の建造物が残る。
その一つ『冥界の神殿』がたった今、三千年もの長きに渡って現世を彷徨っていた王の魂を受け入れ、千年アイテムと共に崩れ落ちた。崩れた後もなお、砂塵が舞う遺跡を眺め、城之内克也は在るべき場所に還っていた親友の片割れに思いを馳せる。
千年パズルに封じられていた王に出会ったのは一年前の事だった。武藤遊戯の別人格として存在していた彼とは共に闘い、歓喜も苦難も分かち合ってきた。その魂に安息を与えるために仲間達――城之内、本田、御伽、獏良、杏子、そして主人格の遊戯――はエジプトを訪れた。
首都カイロから神殿が在るルクソールへと向かう船中、仲間達の誰よりも彼と近しい位置にいた遊戯の心境はどのようなものだったのだろうか。それは城之内には計り知れないが、『闘いの儀』に於いて『もう一人の自分』である王を見送った遊戯の表情は悲愴ではなく、新たな一歩を踏み出す決意に満ちていた。
いつまでも崩壊した神殿の前に立っていても仕方がない、帰ろう、と言うために仲間達の方を振り向いた城之内は、彼等の遥か後方に意外な人影を見つける。
砂丘に立つ兄弟は確か、数ヶ月前のバトルシティの後、彼等の会社が海外進出する基盤を作るためにアメリカに渡り此処には居ない筈だ。
城之内は手にした荷を放って兄弟の方――正確には兄の海馬瀬人の方へと駆ける。突然走り出した城之内の行き先に目を向けた仲間達はぎょっとするが、彼等が止めようとした時には既に、彼は海馬の許に着いていた。
「一足遅かったな、シャチョーさん」
親友の一人を失った哀しさは未だ完全に癒えておらず、それを隠すように態とおどけてみせる。
「今更来ても、もう一人の遊戯は行っちまった後だぜ。その重役出勤っぷりを何とかしろっつぅの」
ふん、と鼻を鳴らし、海馬は興味無さげに崩れた神殿へと目を向けた。
「オレは奴に別れを告げるために来たわけではない。別件で来たら、こういう事態になっていただけだ」
その隣でモクバは兄を見上げ、次いで城之内に視線を移して相槌を打って見せる。
「確かめたい事があって、此処へ来た」
そう言って海馬が振り仰いだ先には、褐色の地が広がり、発掘された遺跡が点在している。王家の谷と名付けられたこの場所に在るという事は、あれらはかつてこの地を治めていたファラオに関する物だろう。
海馬はその一つを指し示した。
「三千年前に君臨した王は、あの中に大切なものを収めた」
印象的な蒼い瞳が憧憬を綯い交ぜにしながら見つめる先に、城之内も目を向ける。だが不勉強ゆえに、海馬の視線の先にある遺跡が一体何なのか判らない。
「なんかすっげー宝石とか?」
「そんな物とは較べ物にならない程に大切なものだ」
ふうん、と頷き、城之内は海馬の横顔を見た。
熱せられた砂と乾いた空気、そこに立つ海馬の姿は、遠い昔の記憶を彷彿とさせる。もしも此処に仲間達やモクバが居なかったら、当時に戻ったかと錯覚していたかも知れない。
「あのさ、海馬」
ずっと彼に言わなければならないと思っていた言葉がある。それが何なのか判ったのは最近だが、遥か昔から――こうして生まれてくる前から気に掛かっていた。海馬がそれを理解してくれるかどうかは定かではない。それでも言わなければ、と城之内が口を開きかけた時、
「おーい、城之内」
と、後方から本田が呼んだ。
「なに因縁つけてんのか知らねぇが、気が済んだだろ? 戻って来い」
城之内はその言い種に苦笑する。自分が海馬と対面すれば、必ず険悪になるものだと思われているらしい。
「行かなくて良いのか?」
モクバが大きな瞳で城之内を見上げた。気に掛けてくれる子供に笑い掛け、海馬を向く。
「お前、まだエジプトに居んの?」
「明日までなら」
再び本田に呼ばれた。直ぐに行く、と返し、そのために反れた眼差しを海馬へ戻す。
「じゃあ、明日の朝、此処に来てくれ。言いたかった事があるんだ」
城之内の言い方に引っ掛かりを覚えたモクバは首を傾げるが、彼の兄はさしたる疑問も抱かなかったらしい。表情一つ変えることなく「良かろう」と答えた海馬に、城之内はいつに無く真剣な顔付きで
「絶対な」
と念を押し、兄弟に背を向けた。
細かい砂を蹴って仲間達の許に戻ると、遊戯がほっと胸を撫で下ろす。
「もう、どうなるかと心配したじゃないか」
悪い悪い、と言いながら、城之内は遊戯が差し出してきた荷を受け取った。
傍らの神殿から上がっていた砂塵は既に収まっている。
「とりあえず、ホテルに行こうか」
御伽の提案に頷き、一同はホテルの在るルクソールに向かうべく、ナイル方面へと足を向けた。その後ろを歩きながら城之内が振り返ると、海馬は未だ此方を見ていた。



遠い昔、このエジプトの地を治めていた王は、恋人の亡骸を過去の王の葬祭殿に隠した。葬祭殿の地中に小部屋を造り、怖がりだった恋人のために灯りを絶やさず、忙しい職務の合間をぬってはそこを訪れた。
海馬はその墓所を確かめるためにエジプトに来ていた。
バトルシティの準決勝戦で対戦相手の遊戯と共に古代の映像を垣間見て以来、頻繁に脳裏を過ぎる情景がある。前王に国を託された自分がファラオとなっているそれは、妄想だと一笑に伏すには現実味を帯び、且つ既視感に満ちていた。非科学的なものを信じていない海馬だが、もし前世というものがあるのなら、その時の記憶に違いないと思うほど、その情景は違和感のないものだった。
だが、それらが事実だという確証はない。証明されるとすれば、それはあの墓所の存在だ。
事実だったらどうだと云うわけではない。だが、彼は恋人を喪った時に願った事がある。その願いは今の生に引き継がれている。
海馬はエジプト当局から葬祭殿に入る許可を得て、弟を伴って王家の谷へ向かった。記憶しているものよりも随分と荒廃した葬祭殿に着くと、記憶を頼りに踏み込み、内部の階段を下りて行く。完全に下りきる手前で足を止め、右側の石造りの壁に近付き、大きめな石の一つを押すと、それは摩擦音を立てて動き、向こう側の空間に落ちた。
「矢張りな」
呟いて海馬は背を屈め、闇に覆われた空間へと足を踏み入れる。驚きに暫く硬直していたモクバも兄に続いた。
懐中電灯に照らされた空間は細長い下り坂になっており、その迷路のように枝分かれしている通路を、海馬は確かな足取りで進む。
通路はやがて十段ほどの階段となり、それを下ると正面に木製の扉が見えた。装飾が施された、しかし朽ちた扉は軽く押すと軋みながら開き、その向こうに小さな部屋が現れる。
記憶の中で幾つもの灯りに照らされている部屋は、こうして目の当たりにすると、手にした照明で辛うじて様子が窺える程に暗い。
海馬は灯りで室内を照らし、それから真っ直ぐに部屋の中央に置かれた物に近寄った。そしてそれに手で触れる。
海馬に続いて部屋へ入ってきたモクバは、背伸びして兄の手元を横から覗き込み、それが人型の棺だと判ったが、そこに描かれた被葬者の肖像とも取れる絵を見るなり、目を見張った。
「兄サマ、これ」
彼は棺に描かれた被葬者に良く似た人物を知っている。
恐らく新王朝時代初期に造られたのだろう、当時の様式に則って描かれた絵の、エジプト人らしくない金色の髪と赤みがかった大きな瞳は、モクバの知人の特徴をそのまま表している。
「まるで城之内じゃん」
海馬は答えずに、ただ棺をじっと見つめていた。
被葬者は彼にとって何にも代え難い愛しい存在だった。しかしその人物は、彼の目の前で胸を刺し貫かれて事切れた。
勝気な瞳は光を映さず、饒舌な唇は呼気すら吐かない。
悲しみとも怒りともつかない喪失感が襲い、思考がまともに働かなくなった。遺体を胸にかき抱き、それが腐ってきても手離そうとせず、見かねた神官が故人の魂のために埋葬する事を繰り返し勧め、漸く骸を葬る事にした。
あの当時のエジプトでは、宗教的見解から遺骸はミイラ加工して埋葬するのが常だった。死者の魂は永遠に生き続けるが、そのためには死んだ肉体に戻って食事をする必要があると考えられていた。ゆえに死体から腐敗しやすい内臓や脳を取り除き、乾燥させてから包帯を巻く。そうすれば肉体は滅びずに済む。
しかし当時も強烈な現実主義者だった彼は死後の世界など全く信じておらず、寧ろその死生観を嘲笑っていた。それでも恋人を埋葬する事にしたのは、蔑んでいた死生観に一縷の望みを繋げたからだった。
既に傷の付いている恋人の亡骸を更に傷付けてまで臓器を取り出す事はせず、乾燥させるつもりにも、包帯で顔を覆うつもりにもなれず、半ば腐った体にルビーと赤いガラスで作られた襟飾りを着けて棺に納めた。そして遺体が盗掘者に荒らされたりしないよう、既存の王墓に付随する葬祭殿の地下に隠し部屋を造らせ、そこに恋人の棺を安置した。
「兄サマは何故、こんな場所にこんな部屋が在るって知っていたの?」
モクバは灯りを翳しながら、珍しそうに室内を見渡している。弟の持つ照明が海馬の周辺を掠め、その際、見覚えのない物を照らした。彼は手にした懐中電灯をそれに向ける。
「厨子?」
モクバの言葉に頷き、海馬は黄金で装飾された厨子に納められた四つの壷を見遣った。
「カノポス壷だ」
カノポス壷は、ミイラ作成時に遺体から取り出した肺や肝臓などの臓器を入れた壷で、それを厨子に納めて四体の女神像に護らせる。
恋人の亡骸はそのままの姿で葬った。つまりこれは別の人物の臓器だという事になる。
海馬は周囲を照らし、すぐ傍にもう一つの人型棺を見つけた。それに描かれた被葬者の肖像から、彼は当時の重臣達が王の遺言を忠実に守ってくれたのだと悟る。
「カノポス壷って事は、城之内モドキの内臓?」
厨子を照らしながら視線を向けたモクバに、否と首を振り、海馬は今し方見つけた棺を示した。
「それは此方の骸のものだ」
モクバは人型棺を覗き込み、息を呑んだ。描かれた肖像から目が離せない。
「どうして……」
黄金に彩られ、聖刻文字が刻まれた木棺。頭巾を被ってこそいるが、被葬者は彼に最も近しい人物に酷似している。
「非ィ現実的だが、此処まで一致すると前世というものも否定出来んな」
海馬もまた、棺に描かれた肖像の、黒く縁取られた蒼い瞳を見る。
「その中には、かつてオレが使っていた肉身のミイラが入っている」


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